懲りない人ビト
今日、主治医の先生から病状の説明と退院について話がありました。ケアマネージャーさんにも一緒に聞いてもらいました。
心臓も動脈瘤も低下している腎機能も高齢ゆえのこと、血圧の安定を心がけることしかなく、かといってあまり食事をつまらないものにしてもいけないし・・・などなど。
いつ退院してもよいというので、ちょっと考えて来週の火曜日にしました。
ケアマネージャーさんは「介護保険はご本人の”介護”につくもので、病気につくのではありません。お父さんはなんでも自分で出来るので、また、出来るというので、このままだとやはり要支援1ですね」といいました。「家事援助もすべては出来ないです。それ以上なら実費で雇ってください」とのこと。いかにも看護師さんらしい答弁。
この包括支援センターのケアマネージャーさんは、来月からはまた市内の病院勤務に戻るそう。
まあ、取り付く島のないような口調の人なのですが帰り際に私が「でも、色々なサービスや皆さんのおかげで、なんとか」といったら、「でも、娘さんが近所にいるからいいじゃないですか」ですと!本人、誉めてるつもりなのかなー。疑問。
さて、その後、銀行へ店のための入金をしに。
その帰り、信号待ちしていたら、義姉が通りかかりましたが、やはり私を無視していきました。
情けない。涙が出ちゃう。
ほんと、結婚式に行ってやるんじゃなかった。やれやれ。
それにしても、負い目のないはずの私のほうが今の事態に悲しんで、「どうせ私一人が悪者」と開き直っている義姉のほうが平然としているのは何でだろうか?誰か教えてください。
父は全く聞きわけが無く、商売のことも「今年にはやめるつもり」とかいまさら言う。つまり、倒れてからの3年間、ずっと「つもり」で来ていて、これまで問屋に店を閉める話など一度もしておらず、「今度話す」といいつつ、今日も商品を注文したいから云々などと、私に話す。
いい加減にしなさいよ、これ以上の在庫を持ってどうするつもりか。
もう、死ぬまで分からないんだろうな。結局のところ自分しかないんだろうなと思う。
具合が悪くなればなったで、母のことも放り出すしかなく、私を頼るしかなく。
良くなればなったで、自分のやりたいようにしか考えない。しょうがないなあ。
午後から母を訪ねて行くと、今回ばかりは長逗留なのが身にしみ始めている様子。
また「お父さんは?」「入院してるよ」「え?!いつから、なんで?」の定例の繰り返し。
私はいつ出られるの?今度(おまえが)来るときは帰れるの?・・・など。
「30日に帰ろうね」と話すと、「そんなにたくさん待たなくちゃいけないの?もうずいぶん頑張ったから、これ以上頑張れない」などと言う。
「何日泊まった?」と聞くと「うーん、9日間くらいかな?」と言う。まあ、それならいいか・・・。
ともかくも、9月はあっという間に過ぎる。
母のケアマネージャーさん、従姉妹、伯母に電話をして、とりあえずの日々にまた戻る。
明日はお彼岸の中日。
ああ、母はお萩が食べたいだろうな(笑)。
心臓も動脈瘤も低下している腎機能も高齢ゆえのこと、血圧の安定を心がけることしかなく、かといってあまり食事をつまらないものにしてもいけないし・・・などなど。
いつ退院してもよいというので、ちょっと考えて来週の火曜日にしました。
ケアマネージャーさんは「介護保険はご本人の”介護”につくもので、病気につくのではありません。お父さんはなんでも自分で出来るので、また、出来るというので、このままだとやはり要支援1ですね」といいました。「家事援助もすべては出来ないです。それ以上なら実費で雇ってください」とのこと。いかにも看護師さんらしい答弁。
この包括支援センターのケアマネージャーさんは、来月からはまた市内の病院勤務に戻るそう。
まあ、取り付く島のないような口調の人なのですが帰り際に私が「でも、色々なサービスや皆さんのおかげで、なんとか」といったら、「でも、娘さんが近所にいるからいいじゃないですか」ですと!本人、誉めてるつもりなのかなー。疑問。
さて、その後、銀行へ店のための入金をしに。
その帰り、信号待ちしていたら、義姉が通りかかりましたが、やはり私を無視していきました。
情けない。涙が出ちゃう。
ほんと、結婚式に行ってやるんじゃなかった。やれやれ。
それにしても、負い目のないはずの私のほうが今の事態に悲しんで、「どうせ私一人が悪者」と開き直っている義姉のほうが平然としているのは何でだろうか?誰か教えてください。
父は全く聞きわけが無く、商売のことも「今年にはやめるつもり」とかいまさら言う。つまり、倒れてからの3年間、ずっと「つもり」で来ていて、これまで問屋に店を閉める話など一度もしておらず、「今度話す」といいつつ、今日も商品を注文したいから云々などと、私に話す。
いい加減にしなさいよ、これ以上の在庫を持ってどうするつもりか。
もう、死ぬまで分からないんだろうな。結局のところ自分しかないんだろうなと思う。
具合が悪くなればなったで、母のことも放り出すしかなく、私を頼るしかなく。
良くなればなったで、自分のやりたいようにしか考えない。しょうがないなあ。
午後から母を訪ねて行くと、今回ばかりは長逗留なのが身にしみ始めている様子。
また「お父さんは?」「入院してるよ」「え?!いつから、なんで?」の定例の繰り返し。
私はいつ出られるの?今度(おまえが)来るときは帰れるの?・・・など。
「30日に帰ろうね」と話すと、「そんなにたくさん待たなくちゃいけないの?もうずいぶん頑張ったから、これ以上頑張れない」などと言う。
「何日泊まった?」と聞くと「うーん、9日間くらいかな?」と言う。まあ、それならいいか・・・。
ともかくも、9月はあっという間に過ぎる。
母のケアマネージャーさん、従姉妹、伯母に電話をして、とりあえずの日々にまた戻る。
明日はお彼岸の中日。
ああ、母はお萩が食べたいだろうな(笑)。
by sukarbe
| 2006-09-22 17:17
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