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足して100歳記念

インフルエンザはどちらかというと早めに治ったように思う。
症状として長引いたのは、なんとなくお腹がごろごろするというものだったけれど、それも昨日くらいには治った。
今夜になって、顔半分、左側に小さな水泡状の吹き出物が、ばあっと出た。
少し痒い。
熱が出たせいかな。薬のせいかな。
酷くならないといいな。

土曜日は一日仕事、開梱+残業だった。
土曜の夜は幼馴染の友と50歳になった記念、今年二人で100歳記念の祝杯を、近所のおでんやであげた。
相方が遠い昔に言ったことを、言った本人は忘れ、こちらが覚えているなんて良くあることだ。
お互い、「年とったよね、ボケたくないよね、でも、ドキっとすることあるよね」と、身に覚えありの話も出る。
彼女は結婚当初からお連れ合いの両親と同居だったから、義父母の世話をした。
お義母さんはもう見送った。お義父さんは入院中。
一人暮らし、介護1の実母さんを彼女がひとりで見ている。
身体の弱い妹さんに代わって、姪っ子の世話もしている。
しかも、彼女は店も持っている。
どうして、こうやって、集るところにばかり集るのか。
救いは、彼女が昔も今もほっそりしてチャーミングな可愛い女性で、子どもたちがいい子ということだろうか(残念だけど男子二人ですが・笑)。

今日は、午後からそれでも長兄のおかげで、少し横になった。
気になっていたコミック『Pluto』を子どもに借りて読み始めた。
浦澤直樹さんは好きな漫画家である。特に『マスター・キートン』。
わが家の夕飯も久々にまともに作った。
筑前煮と菜の花のお汁とアジフライを作った。
TVで洋画も見た。
気ままに過ごした。
さあ、寝よう。
いい夢を見ますように。



# by sukarbe | 2007-02-19 01:31 | つれづれ

父母帰る

次兄が担当医と話したらしいが、先生の言うことに「あーそーですかー」「はいはい」というだけで、レントゲン写真を見ても「わからないね」と言うだけだったらしい。
その後、父と店の件で言い合いになったらしい。何のために病院へいったか・・・。
それを後から見舞った長兄が父から聞いて、やっぱりあいつはダメだと私に言う。
「それで?」といったら、長兄は黙った。
兄弟げんかの火元は父にもある。そう思う。
父は長兄は頭が良く、立派だと思っている。
で、先生の話を聞いてほしいと頼んだのに、長兄までも「俺にはわからないから、会わなくていい」と言って、そうそうに帰ったらしい。

しかし、退院の迎えにいく事を引き受けてくれた。母の退所も。
今朝早く、実家へ行き、父と母を迎える準備をした。
部屋を暖め、掃除し、湯たんぽを沸かし、シーツや枕カバーを設えて、お茶を沸かし、昼食を作り、買出しに行った。
その間、兄から電話がかかり、病院の駐車場はどうなっているかと聞いてきた。
そんなの知らないわよ。どうも一緒に行ってほしかったらしい。
くどいので「病院に電話して聞いたら?」といったら、それはいやだったらしい。
母を迎えにいくときは、私は夕食を作り置いて自宅へ帰ってきてしまった。
いっぺん、全面的に一人でやってみたらいいと思ったのだ。
そうすれば、母の状況も分かるし。
しかし、都合5回も電話が鳴った。
「家が開かない(鍵持ってるだろう)」「洗濯物はどこに置くのか」「預かった書類はお父さんに渡しておいていいか(それ以外にどうする)」「今どこ?え?家に帰っちゃったの?」
この自立のしてなさを想像するに、これでは女房に頭が上がらないに決まっている。
会社に行く以外は子ども並だろう。

ヘルパーさんをお願いしている民生委員さんとケアマネさんに連絡。
明日からまたいつもの在宅介護が始まる。



# by sukarbe | 2007-02-19 01:10 | 母と父

インフルエンザ騒動

私が寝込んでいた3日間、父からは音沙汰がなかった。
4日目になっても、ない。
遠慮しているのかなあ、気を揉んでいやしないかなあと思って、従姉妹に様子を見てきてもらうことにした。
翌日、従姉妹は開口一番、「叔父さんはインフルエンザだったよ!」と言った。
隔離されていて、会えなかったとのこと。
ええー、そんなー。
病院にいるのに!!
そして、発病して5日は経過しているのに、どうして緊急連絡先の私に一報が無いの!!
(それから、じゃあ、私のこれもやっぱりインフルエンザだったのね↓そして、感染源は病棟?)
すぐに病院のナースステーションに電話。
大代表から長く待って、やっとつながったと思ったら、
何を聞いても、いっても、若い看護師が「すみません(ふみまへぇん)」ー括弧の中のように私には聞こえるーと力なく答えるだけだった。
今は安定してます、そう言われると、怒りたいけど怒り損ねた妙な気分になった。
どうやら、連休中は、主治医も他の医師もいなくて、手薄だったらしい。
いろんな指示や検査が後手後手になったようである。

86歳で心不全で入院して、インフルエンザにかかり、39度以上の熱が3日続いて、死んだらどうする。なぜ、知らせない。これがきっかけでボケたらどうする。
入院も畢竟長引くことだろう・・・。

しかし、今日、看護師から「日曜日に退院されますので」と突然の連絡があった。
「退院前の先生の説明を受けていただくのに、ご二男さんに電話したら明日10時に見えると言うので、決めました。そしたら、ご本人さまが娘でないとダメだというので、もう一度連絡しました。どうしましょうか。」
「いえ、兄と先生で調整が取れたなら、兄が伺います」そういって、お願いした。

そして、私は退社後に久しぶりに病院へ行った。
「おおー、来たか。お前はどうだ、いやー、俺は大変な目にあったぞ」
そこから、父はバリバリとしゃべった。

昨日、お前に電話したいから、年配の看護師さんに代わりにかけてくれと言ったら、嫌だという。
隔離されてるといったら、その人が「マスクしたら電話のところまでいっていい」という。マスクして歩き出したら、ナースステーションにいる看護師たちが「Iさん、ダメです、ダメです!」って、キャーキャー大騒ぎした。
だからこの看護師さんがいいっていったんだ。この人は立派な看護師さんだろう?違うか。しかもあんたらの先輩だろうって、若い看護師たちに説教してきた。そしたら、奥で先生が面白そうに笑ってたよ。
・・・だと。あはは。

母が18日に帰ることを気にして、自分も18日に帰ることにしたのだろうか。
父はそういうつもりではないという。先生が決めたという。
しかし、看護師さんによれば、先生にそいう訴えがあって、18日に帰りたいなら帰そうという決定になったみたいですよという。
また、二人同時の退院退所になる。
さて、次兄は動くか。



# by sukarbe | 2007-02-17 00:22 | 母と父

猫と湯たんぽと氷枕

連休はとてもいい天気で、暖かでした。
暦の上では春といっても、まだ2月なのに。
今朝、ベランダに立つと、じんわり汗ばむような日差しでした。
けれど、この三連休、窓から青空を仰ぎ見つつ、私は寝付いていました。
とほほ。

9日の昼過ぎから、少し咳が出始め、いやな咳だな・・・と思いましたけれど、それほどに多くないので、じき何とかなると思っていました。
10日の朝、以前から少々風邪気味だった息子が熱を測ると37.1度。
どれどれ私も・・・と試しに測ったら、37.6度でした。
ええ?!

それから、横になって、咳は少し増えたものの、何より辛いのが頭痛。
熱はあっという間に38.9度まで上がりました。
足は冷たく、頭はガンガンズキズキ。
昼間の父の電話にも「熱なの!」と冷たく切って、寝ようと思っても眠れない。
ああ、そうだ!
湯たんぽ!ある。
氷枕!ある。
それを設えてから、かすかに楽に。
たかが感冒、たかが熱。静かに静かに寝ていれば治る。
けれど、その日夜遅くに、なんとホントに久しぶりに膀胱炎に。
これは医者に行かないと治らないし、後が悪かろうと、翌日は休日診療に。
往復のタクシー運転手さんがとてもいい人で、うれしかった。ありがとう。

抗生物質の効き目はあらたかで、同時に熱も三日が辛抱。
今朝になって、微熱に変わり、午後からは平熱になりました。
薄皮を剥ぐように良くなるというけれど、熱の下がる経過はまさにその言葉がぴったり。
少しずつ力が湧いてきて、どうせと、午後からシーツ類も取り替えて、湯たんぽ&氷枕にもありがたくさよならしました。

ああ、なんたる連休。
しかし、父は病院、母は施設で、心置きなく休めました。
熱で苦しかった最中に、ふと窓の外を覗けば、白梅がほころんでいました。
この家を初めて見にきたときに、窓に届かんばかりに枝を張って、咲き誇っていましたっけ。
その白梅の向こう側、茶室の濡れ縁に、白に黒のブチ猫が一匹、気持ちよさそうに昼寝をしていました。
日の当たる時刻になると訪れて、翳った頃に見るともういません。
このブチ猫の訪れが、何とはなしに待ち遠しく思えました。
今は、この野良にも、お礼をいいたい気持ちです。



# by sukarbe | 2007-02-12 15:29 | つれづれ

思い立って

思い立って、会社を午後から早退して、以前申込をした特別養護老人ホームにもう一度相談に行きました。
申込をしたままではいけない、足を運ばなくてはと思いながら、それがずっと気になっていながらも、実際には動きがとれずにいました。
また、どうやって訪ねていこうか、何をどう話すか、突然でいいのか・・・などと思っていました。
仕事も休んでしまえば、そこはパートのしがなさ、時間が自由のようでもお給料に跳ね返ります。

先日、母の介護検討会議をしたときのことです。
スタッフの一人が「やはり、何度も足を運んでください。それが一番いい方法です」と言われました。だけれどねぇ・・・。

私がこちらに越してきて、実家に介護保険制度を取り入れるにあたり、思ったことがあります。
それは、ヘルパー派遣から始まり、デイサービス、ショートステイ、入所と続く「介護の道」ですが、入所施設を持ったところにデイサービスに行かせたいということでした。
以前、専門学校の実習でデイサービスの研修にいったことがあり、そのときに実感していたのです。デイに通っているところが、ショートを受け入れ易く、それが入所まで続くという利用の道があります。本来は状況に応じた自由な選択のはずですが、申込者の便利もさることながら、利用者だって慣れていて、気心の知れたところのほうが、いいに決まっています。
アチコチの施設に行くのだって、高齢者にとっては負担です。
でもそうなると、「寄らば大樹の陰」とういか「大資本の勝ち」ということになって行き、本来のきめ細かさや地域密着という考えは失われがちです。

両親は、当初はヘルパー派遣を受け入れるのも渋りました。
やっとのことで、地域の民生委員さんならという父の意見を尊重して、民生委員さんの紹介でというか、彼女もメンバーの一人である在宅支援のグループにお願いしました。
そこは、介護保険導入の前からチケット制などを取り入れ、きめ細かにヘルパー対応をしている事業所でした。小さいながらにもデイサービスまでは持っています。
しかし、ショートステイは出来ない。
そして、今、母がショートに行っている先は老健なので、長くは入られない、そして、費用がかなりかかります。

家族が同居していて、ご近所にも介護力があり、みんなでその高齢者を見ているのなら、後者のような支援のありかたでいいのかもしれません。
しかし、いずれ入所ということを考えなくてはならない、そういうことが想定される場合はどうなのでしょう。いや、誰にもそういう可能性はありえます。

ケアマネージャーさんの力や既得権が大いにモノをいう世界ではないのでしょうか?
大きな施設のケアマネさんのほうが力量があることになってしまいます。
けれど、本来そういうことではないはずです。
個々人の環境、状況にあわせ、本人の意思も尊重され、より専門性の高いところで質の良い介護を願うことは無理なのでしょうか。
介護保険が居宅を建前、理想としている限り、限界があると思います。
そう実感します。

施設を二つ廻り、相談員さんに状況を話し、再度入所のお願いをし、最後に母を見舞って帰ってきました。
母は相変わらず、記憶の森の迷路に暮らしているようでした。
父のことはともかく、お嫁さんや孫のことを何度も聞くので、
「あんなに一生懸命世話をしてあげたのに、お母さん気の毒だね」というと、
「子どもは大きくなったら、親の仕事はそれでおしまい。後はもう年寄りはいいんだ」などと言って、そりゃお母さん、泣き言ばかり入ってるくせに、矛盾だらけです。

新設の特養が5月にオープンするそうで、そのパンフをもらってきてあり、入所申込を作成しました。それで、今日は、かなりへとへとになりました。
父から電話で「きょうはどこにいるの?」とのこと。病院には行かなかったからねえ。
「少し熱が出て(公衆電話まで歩き回っていていいのか?)たいしたことない、7.2℃ だけど、退院は長引きそうだから、アレコレ持ってきて」とのことでした。さすが、というかやれやれです。

これで一日おしまい。
今日私のしたことを、もし誰もしないなら、公のなかの誰が代わってやってくれるのかしら。



# by sukarbe | 2007-02-10 00:03 | 母と父

おうちを建てました。小さいから名付けて小箱・こばこ・Cobacoです。よろしくね。
by sukarbe
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